ネット時代のジャーナリズムのあり方とは
新型コロナウイルスをめぐってSNSなどで情報収集をしていると、マスメディアと読者の境がなくなっていることに改めて気づかされる。ここでいうマスメディアとは、いわゆる既存のオールドメディア(existing old media)のことだ。
オールドメディアの記者は良かれと思って正義感で新型コロナウイルスについてツイートをするのだろうが、そこにプロの感染医が出てきて直接、情報発信をしたり、専門家並みに詳しい市民が出てきたりして、オールドメディアの記者の存在意義がなくなるパターンが増えている。
少し前までは、「現代社会はあまりに難しい話が増えている。その説明をプロフェッショナルばかりに任せてはいけない。プロフェッショナルは必ずしも説明がうまいわけではない。記者の素人感覚こそが大事なのだ」と言われていた。だが、これも果たして今もそうなのかは疑問だ。最近では、かなり噛み砕いてわかりやすく説明できる専門家も増えてきた。
難しい科学的な話を市民にわかりやすく説明するには、比喩や妥協がある程度必要だった。昔の専門家の多くはこうした比喩や妥協を嫌うことが多く、記者がその批判を受けながらも、比喩や妥協を駆使して一般市民に科学的なことをわかりやすく説明していた。ところが最近、専門家の中でもほぼ正確に比喩や妥協を通してわかりやすく説明できる方が増えている。
「プロフェッショナルで難しい話を、記者がわかりやすく翻訳して、一般市民、老若男女に届けないといけない」という使命はおそらくジャーナリズムの使命の一つとして今後も変わることはないが、問題は解説スキルに長けた専門家や読者が増えている時代で、どう役割分担をしていけるかだ。
もともと、記者と科学者(専門家)は同じようなことをしていると言われることがある。広大なフィールドからサンプルを採取して分析し、自分が報告しなければ永遠に表に出ない事実を世の中に報告する。そのスキームはどちらも同じだ。ただ、相違点の一つは、科学者には原則、博士号が求められるのに対して、記者には何の資格も求められない。名乗れば誰でもジャーナリストだ。記者が科学者と同じサンプルを採取し、分析しようとしても、到底科学者に勝てるはずがない。オールドメディアの記者は今後、一人一人が自分の仕事を見直さなければ、オールドメディアそのものの存在意義が揺らぐことになるだろう。
では、オールドメディアの記者はどうしたらいいだろうか。個人的には、鍵を握る一つが古典的な「ナラティブジャーナリズム」だろうと考えている。科学的なファクトの裏にどんな物語(ナラティブ)があるか、またはあったのか。これを科学者に変わって魅力的に市民に伝え、結果的にその科学的ファクトの厚みを生み出すのがジャーナリストの役割の一つとして重要になってくるのではないか。
いずれにしても、時間はかかるかもしれないが、「パニック」よりも「ファクト」を伝えるという気持ちが大切なのは言うまでもない。